ちくま学芸文庫から出版されている、批評家スーザン・ソンタグの評論集です。
表題の『反解釈』は頭の30頁くらいに収録されています。
・ヨーロッパ人の芸術意識は「内容」と「形式」の峻別を前提とし、前者が優位に立つ。この区別はギリシアの自然模倣説、すなわち現実の模写である芸術の内容こそ本質的、形式は副次的なものであるという理論に由来する。
・内容を極端に重視する結果、解釈という企図が生ずる。
・解釈は、伝来のものを原初の形で保存すること、解釈家自身の主張や理解を可能ならしめることを両立させるために要請されるものである。
…解釈が生ずるためには、前提として、本文の明白な意味と(後代の)読者の要求とのあいだの乖離が必要である。その乖離を埋めようとするのが解釈である。
『反解釈』(ちくま学芸文庫)p.20
・解釈は、「人間の意識の歴史的展開」のなかで評価されるべきである。
・現代の雑多な都市環境、生産過剰の中で肉体的活力とか感覚的能力は鋭敏さを失っている。
・現代では感覚的経験よりも知性が優位に立ち、作品は「思想」や「文化」に無理矢理吸収され、蹂躙されている。
解釈とは世界に対する知性の復讐である。解釈するとは対象を貧困化させること、世界を萎縮させることである。
『反解釈』(ちくま学芸文庫)pp.22-23
・解釈とは、芸術作品を手に負える、気安いものにするための「俗物根性」にすぎない。
芸術作品はいくつかに分類しうる内容からできているというきわめて疑わしい理論の上に、解釈は成立しているが、これは芸術を冒瀆するものだ。それは芸術を一種の実用品と化し、頭のなかにできあがっている範疇に分類しようとするものだ。
『反解釈』(ちくま学芸文庫)p.27
・現代の芸術は解釈を逃れようとする傾向にある⇒現代絵画・現代詩
・しかしながら「まっこう切った前衛主義」は現実的でないし、内容と形式の区別を固定化してしまう。 ⇒解釈から逃れるための別の可能性が提案される。
作品の表面がきわめて統一的で明晰であり、作品の運動がおそろしく迅速であり、作品の訴えかけが実に直接的なので、作品はついに……まさにそれ自身となる――そういう作品を作ることだ。
『反解釈』(ちくま学芸文庫)p.29
・このような直接性は今日、映画において実践されている。
・今日の芸術批評においては「芸術の形式にもっと注目すること」、「作品の外形を真に正確に、鋭く、共感をこめて描写すること」が必要である。
いま重要なのはわれわれの感覚を取り戻すことだ。われわれはもっと多くを見、もっと多くを聞き、もっと多くを感じるようにならなければならない。
『反解釈』(ちくま学芸文庫)p.33
・感覚的経験を取り戻し、「形式」に対する「内容」の優位性を逆転させなければならない。
分からない、未知のものに対して人間は大きなストレスを感じる。そこで私たちはありふれた分類に無理矢理落とし込もうとしたり、過度に単純化して理解しようとする。そうではなく、得体の知れないものや既知のものに対応できない何か、それ自体として受け入れる態度が求められていると思った。


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